〜2001年編〜


今年も5月は沖縄だ

去年初めて沖縄に行って、すっかり沖縄が気に入ってしまった。といっても沖縄といってみんながイメージするようなマリンレジャーは最初から興味なくて、沖縄の食べ物が大好きになった。それまでは沖縄料理といえば、ゴーヤチャンプルーとソーキソバくらいしか知らなかったけれど、実際行ってみるとその奥の深いこと。こういうものを食べていればそりゃあ長生きするよっていう食べ物や調味料ばかりだった。去年はそうやって食べ歩きばっかりだった。もうひとつ気に入ったのがたまたま行ったりんけんバンドのライブ。今年はもっと音楽を楽しみたいなと思って再び沖縄に旅立つことにした。


えっ!一泊2000円の民宿!?

去年の宿は国際通のカプセルホテルに泊まった。いつもアジアで安宿に泊まっているから日本国内旅行をすると宿代が高くてかなわない。だからたいていはカプセルホテルを利用する。しかし今回インターネットで調べていたら那覇市内に一泊2,000円の民宿があるという。これはいいとさっそく予約を入れた。なんと空港まで迎えに来てくれるというではないか。そして当日、空港から電話して迎えに来てもらった。宿に着いてそこで初めて気が付いた。個室じゃなかったんだ。大部屋とういうか相部屋というか、部屋にベッドがたくさん並んでいてドミトリーそのもの。
う〜ん、相部屋なんて一言も書いてなかったのに。そりゃあ今どきの日本で2,000円の個室があるわけないと言われればそうかもしれない。でもぼくは昔実際に愛媛の松山駅前の旅館に素泊まり2000円で泊まったことがあるからありえないことではないと思っていた。でもまあいいやと思ってとりあえずそこに泊まることにした。


遅くまでうるさいんだよ!お前ら。

この民宿は12時が消灯時間という取り決めだった。昼間歩きつかれたのでさっさとベッドで寝ていたら、先客のみなさんがやってきてテレビをみながらおしゃべりを始めた。12時を過ぎても電気を消しやがらない。いつまでもいつまでもくだらない話をしてうるさくて眠れやしない。話している内容といったら女とセックスの話ばっかり。年齢は定かではないが、20代前半のやつと30代前半くらいまでだろう。いい年をしてほんとくだらない。結局やつらが電気を消したのは明け方4時くらいだった。たまらなくてそこは翌日引き払って、結局またカプセルにとまることにした。ここならいくらせまくても個室だもんね。


沖縄音楽を堪能しよう!

今年は音楽を大きなテーマにしていた。昨年は本当にたまたま偶然りんけんバンドのライブを知って、観にいってすごくよかった。もうひとり沖縄音楽で有名な喜納昌吉さんは沖縄に居なくてライブがなかったから観ることができなかった。だから今年は出発前にインターネットで調べたらどちらも旅行中にライブがあることがわかった。りんけんバンドはネットで予約も入れた。これで万全。


まずは喜納昌吉とチャンプルーズ

喜納昌吉さんは『花〜すべての人の心に花を〜』や『ハイサイおじさん』で有名なミュージシャンだ。拠点は那覇市国際通のライブハウス『もーあしびチャクラ』。さっそく初日に行ってみることにした。7時すぎに行くと前座に沖縄空手の演舞や沖縄民謡のステージがある。これがなんと喜納さんのお父さんの喜納昌栄さん、80歳くらいかな。喜納さんのステージは約40分くらい。曲自体はCDなどで知ってはいたが、生のステージはまったく別物だった。特に『花』は本家本元の歌を生で聴くと実に心に染み入る。いいなあと思う。CDを買ってサインをしてもらっていっしょに写真を撮ってもらった。う〜んミーハーだなあ。


そしてりんけんバンド

りんけんバンドはこれで3回目になる。沖縄では2回目。りんけんバンドの拠点は那覇からバスで40分くらいの北谷(ちゃたん)町にある。このあたりは最近の沖縄で一番熱いスポットじゃないかな。美浜地区と言って、返還された米軍基地の跡地にいろんな商業施設ができている。人工だろうけど砂浜もあるし、目玉は大観覧車。そんな一角にりんけんバンドの拠点であるライブハウス『カラハーイ』がある。
ライブステージは9時すぎに始まる。なんでこんなに遅いんだろうか。前座に女の子2人組のピンクスっていう沖縄民謡のデュオ(?)がステージをしていた、これが若くてとってもかわいい。衣装もきれいだし。
 9時を過ぎてやっとライブが始まる。りんけんバンドは沖縄の民謡、それもエイサーを取り入れていて太鼓の音がビンビンと体に伝わってくる。歌詞は完全にうちなーぐち(沖縄方言)だからまったくわからないが、聴いていると南国の海の風景が目の前に広がってくる。沖縄がかつて海洋国家として繁栄していたころの明るさと強さを感じることができる。そして終わったのが11時過ぎ。もう那覇行きのバスはない。なんでこんな時間にするの?ここでもやっぱりCDを買ってサインをしてもらっていっしょに写真を撮ってもらった。う〜ん、ミーハーだなあ。


今年もやっぱり沖縄ごはん

音楽が大きなテーマとはいえ、やっぱり食べ物を外すわけにはいかない。ただ沖縄は去年も来ていてたくさん食べたからもう何が美味しいかわっかているから楽だ。あと去年食べなかった料理を食べなければならない。

今年初めて食べたのはこんな料理

ふーてぃばじゅうしい
よもぎのきいた雑炊。臭いがきついのかとおもったけれどそれほどでもない。これも単品で大きなどんぶりいっぱい出てくる。これだけで腹いっぱい。

沖縄そばの麺を使ったヤキソバ
沖縄そばは『そば』という名前だけど小麦粉でつくるからうどんだね。形はきしめんが少しふくらんだような形でかなりコシがある。この麺を使ったヤキソバだけど実際は焼きうどんといったほうがいいのかな。これもかなりうまい。

味噌汁
味噌汁ってただの味噌汁でしょって思うでしょ?でも味噌汁っていうメニューで普通思う味噌汁が出てくるなんて思ったら大間違い。だいたいねだんからして500円するからね。
注文すると出てくるのはどんぶりいっぱいの味噌汁、これがまた具が違う。まず豚肉、缶詰ポーク、もやし、レタス、とうふなど、それとご飯、と刺身。これだけ付いてくる。だからゴーヤチャンプルとごはんと味噌汁なんて注文したら、ごはんが3杯出てくることになるよ。沖縄は一品料理にもご飯がついてくるからね。まあ、その前に店の人が言うだろうけど。

冷やしぜんざい
これ氷あずきとどこが違うんだろう?名前が違うだけなのかな?


沖縄の路地裏はまさに東南アジア

味噌汁は国際通のレストランにはなかったので、もっと大衆的な店に行かないとないのかと思って路地裏へ探しに行った。すると那覇市でさえ、少し路地に入ると東南アジア的な雰囲気に満ちていた。路地の辻にある小さな市場はラオスにあったようなものだし、その近くのお店はベトナムでみたような店構えをしている。その一角の小さな店に味噌汁はあった。カウンターのみ3席しかない小さな店だった。


島へ行こう

どうしても長い休みがとれないから、本当は石垣島や竹富島、西表島にも行ってみたいのだけどそうもいかない。なんとか本島近くで、できれば日帰りのできる島はないかなと思っていろいろと調べたら、座間味島や阿嘉島があるらしい。座間味島のほうが観光客が多いと聞いたので、人の来ない阿嘉島へ行くことにした。那覇の港からフェリーが出ている。急に決めたが朝9時の便があった。さっそく2等の雑魚寝部屋で約1時間半、海の色が本当にきれいだ。天気もいい。さあ島へ着いた。


島の風景

阿嘉島の港へ着いた。港の周辺に集落があった。ぶらぶらと歩いてみると10分くらいで全部廻れてしまう。この集落のすべての家が民宿をやってるんじゃないかと思うくらいに民宿が多い。その民宿にはダイバースーツを着た若い男女がうようよいる。道にもスーツを着た人たちが歩いている。マリンレジャーをなんにもしないのに島にきたぼくはなんだか場違いな感じがして『申し訳ない。申し訳ない』と呟きながら歩いていた。帰りの船の時間にはまだかなりあるが、もうすることがなくなってしまった。島に来た目的は、沖縄の昔の家並が残っているのではないかと思ったからだがこの阿嘉島にはどうもそういう家はなさそうだ。期待はずれか?そう思いながら観光案内板を見てみた。すると、阿嘉島と橋で繋がっている慶留間島にそういう昔ながらの家並みがあるらしい。これは行かなければならない。


これが見たかった。赤屋根の家、珊瑚の塀

交通手段がなんにもないので歩いて渡ることにした。大きな橋を渡って海沿いの道を歩くこと約30分、意外と早く慶留間島の反対側へ着いた。学校で一休みしてこのあたりを散策してみた。すると楽しみにしていた赤屋根と珊瑚の塀の家があった。これ今もちゃんと人が住んでいるんかな?でも洗濯物も干してあるし、電線も張ってある。でもこれはなんか絵にならないので写真を撮るときは巧妙に避けながら写した。なかなか頭で思い描くような理想的な家並みってないよね。


ああ、今度は離島に行きたい

今回も4日しかとれなかったので、沖縄本島から先の離島まで足を延ばすことができない。石垣島や西表島、竹富島なんかにも行ってみたい。今度行く機械があったら本島素通りで離島にまっすぐ行こうかな。


おみやげは八重山パイン

さて、旅の悩みといえばお土産選び。沖縄土産で一番簡単で無難なのは『ちんすこう』だろうね。だけど、あれは自分で食べて美味しいと思わない。ぼくは自分で食べてみて美味しいと思わないものは買わない主義なのでいゆも困る。それに自分が好きでも一般人向けじゃないものもあるし、その土地で一番美味しいものは持って帰れないというジンクスもある。そうなるとけっこう在りそうで無いもので商店街を歩き回ってもいいものがない。値段と数も重要な要素だからいいものがあったとしても、高かったり数が人数と合わなかったら困る。困り果てて果物屋の前を通りかかったら店のおばちゃんが『買っていけ』と勧めるので訊いてみたら十分人数にも合うし、なにより一個320円ていうじゃない!そんなに安いの?って驚いたけれど本当にそんなに安かった。おばちゃんが自慢するには、このパインは八重山諸島でとれた八重山パインで、国産だから完熟したものを収穫しているから輸入物とは比べ物にならないという。それならと思って一個買って帰った。職場のみんなにも好評で、いくらくらいすると思う?って訊いたら1500円くらいだって言うから、とても320円って言えなくてしばらく黙っていた。久々に当たりだったかな。


自分へのおみやげはお惣菜

ぼくは旅行に出ると自分用のお土産はたいてい調味料なんかが多い。でも今回は国内旅行だから海外旅行ほど制約がない。移動時間も短いから生ものもOK。だけどぼくのこだわりとして、お土産物屋では買わないっていうことがある。で、今回は市場の周りにあるお惣菜屋さんでいろいろ買った。ソーメンチャンプルー、クーブイリチー、海ぶどう、油味噌、ホント食べ物ばっかり。でも今回は去年ほど無茶食いしなかったから、体重増えてなかった。けっこう奇跡かな。


すなふきん、またうちなーに間違われる

最終日、お土産選びに時間がかかってしまって飛行機の時間がせまっていた。国際通のバス停で空港行きのバスを待っていたがなかなか来ない。痺れをきらしてタクシーに飛び乗った。すると運転手さんが『どこへ行くの?』って訊くから『帰るんですよ』って答えたら、『あら、沖縄の人かと思った』(!)まただ!去年も居酒屋でうちなーに間違われた。『よく言われるんですけど、ぼく沖縄の人に見えますか?』『見える。あんた縄文系の顔しとるよ(!)でも、それはいいことだよ(?)』縄文系!?そうかそうかそうだったのか。


沖縄のタクシーの運転手さんはおしゃべり

今回、2回タクシーに乗った。りんけんバンドのライブから那覇へ帰るときと最後に空港へ行くとき。
その2人の運転手さんが、まあよく喋ること。最初の人は、りんけんバンドのライブの帰りだって言うと、りんけんさんを高校のころから知ってると言って、昔の話やりんけんさんのお父さんの話までしてくれた。2人目の人は圧巻だった。この人は上の話題でぼくを沖縄人と間違った人だ。この人は考古学に興味があって自分でホームページを開いているそうだ。邪馬台国は沖縄にあったっていう説を持っていて、魏志倭人伝の解釈をとうとうと話してくれた。ぼくは北九州説を信じているので反論したかったが黙って聞いていた。するとホームページを印刷したものからURLとメールアドレスの入った名刺までくれた。名刺はなくしちゃったから結局アクセスしていない。ごめん。


最終日沖縄は梅雨入り

ゴールデンウイーク期間中、5月の初旬は本土のほうは毎年たいてい雨が降る。だけど今回の旅行中沖縄はもう夏のような気候で日差しも強く日焼けした。最終日朝目覚めたら雨が降っていた。最後の日に傘を買うのもバカらしいので雨に濡れながらお土産を買い歩いていた。帰ってからニュースを見たらちょうどその日沖縄が梅雨入りしたらしい。よかった。いいタインミングだった。


沖縄について考えた

ぼくは沖縄に行ってもマリンレジャーはしない、かといってひめゆりの塔などの戦跡も行かない。まったく関心がないわけじゃなけれど、その目的のために沖縄に行くつもりはないということだ。だけど昨年初めて沖縄に行って、沖縄本島のど真ん中にある米軍基地の実物を見て、基地を避けるようにして人々が住んでいる現状を見るとさすがにニュースだけではわからない現実というものを感じた。
 ぼくは沖縄の食べものや音楽などを通して考えるのは、戦争や本土復帰といったことよりももっと前の話。つまり独立国だった琉球王国が明治維新のときに沖縄県という形で日本(ヤマト)の領土にされてしまったことだ。それ以降の現在にいたるまでの沖縄の不幸はすでにそこから始まっていると思う。確かに明治以前もヤマトとの関係は深かった。言葉も日本の古語が残っているという説もあるが、そもそも沖縄(琉球)の民が日本人なのかということもはっきりしていないのではないか。何をもって日本人(民族)というかということもはっきりしていない。つまり、同じ日本民族が別々の国家を作っていたのか、琉球とヤマトは別なものかということだ。沖縄に行くと沖縄の人の顔は特徴があって沖縄の人だとすぐわかることも多い。どちかというと東南アジアの人々と似た顔立ちだとぼくは思っている。まあ、日本自体が南方系だ北方系だ、縄文系だ弥生系だと分類しているから簡単な話ではないと思う。しかし、いずれにせよ琉球王国は独立国だった。(日本)ヤマトと中国に二重朝献していたといっても独立した海洋国家だったはずだ。それが明治維新のどさくさに薩摩の軍勢を派遣して『併合』してしまった。ハワイがアメリカの領土であるのと同様だ。ハワイも独立王国だったのにアメリカに『併合』されてしまっている。それも日本の明治時代の話だ。歴史上成功した侵略はないという。なぜかというと成功したら『侵略』とは言わないからだ。
 沖縄(琉球)は日本(ヤマト)の領土になって本当によかったのか?食べ物や音楽を体験すると、豊かで奥深い文化や食をもっていた南国の明るいバイタリティーに満ちた人々がなぜに長い間虐げれれてきているのかと思うと悲しくなる。歴史に『もし』は禁物だけど、もし琉球がそのまま独立国だったら、もし敗戦のときに日本に『復帰』ではなくて『再独立』していたら沖縄自体はどうだったろうと思う。物質的に豊かにはなってはいないと思うが、決して今のように日本(ヤマト)の生贄のような屈辱はなかったのではないかと思う。戦争や基地の問題も大きな問題だが、この問題が根源的で今の問題のすべての始まりだと思っている。だけど、今沖縄が独立すればいいなんてことは思ってもいない。もう遅すぎる。今日本(ヤマト)が沖縄に対してできることを考えるしかない。でも、もう無理かも知れないけれど沖縄の人には沖縄の高度で豊かな文化や自然をできるだけ残してほしいと思う。他人事に聞こえるかな?


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