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10年ぶりの海外旅行 なぜにネパール

転職2年目の春気がついた。今度の夏休み1週間あるじゃないか。だったら海外行けるじゃん。てことで前々から行きたかったネパール旅行を決定!ネパールのこと何も知らなくて名前だけは知ってたんだけどなぜか昔から気になっていた国だったのです。
 10年ぶりということでパスポートも取り直し、で前と違って今回は社会人なので期日までに絶対に帰ってこないといけないという制約がある。だから最初フリーツアーにしようかなって思ったんだけどいろいろやってるうちに昔の情熱がメラメラとぶりかえして、ええい!一人旅じゃ!


カトマンズ着 空港に着くとそこは

そんなこんなでついに出発!できたばかりの関空からロイヤルネパール航空で直行便があるのだ。上海経由で約5時間、ついにカトマンズの空港に到着。地元の人は気づいていない匂いがそれぞれ国にはあるそうだ。日本は醤油の匂いがするらしい。ネパールは着いたとたん、スパイスの匂いがした。


カトマンズのホテルに予約はいらない

カトマンズには夜に着いたので宿が心配となるところだが、心配ご無用。ガイドブックにもカトマンズのホテルは供給過剰で予約は不用と書いてあった。とりあえずそれを信じて予約なしで旅立った。着いてみて驚いた!到着口に客引きがワンサカいるではないか。すごいすごい。ただ、カトマンズのホテル(ゲストハウス)で有名な『カトマンズゲストハウス』に泊まってみたかったので客引きにもう決めてるからと言ったら、それでもいいからと車で送ってくれた。ありがとう。明日泊まってあげるね


タメル地区というところ

カトマンズのタメル地区には世界中のバックパッカーや個人旅行者が集まってくる。旅行者のための街なのだ。ここには安宿やレストラン、旅行代理店その他旅行者が必要なものがすべてそろっている。非合法なものを含めてね。日本語で『葉っぱいらない?』って言ってくるのがいるけど葉っぱていったってお茶っぱとは違うからね。気をつけてね。おとり捜査もあるから


ぼられた話

夜が明けてネパール初日。まずは観光の基点のダルバールスクエアに行ってみた。60年代にヒッピーの溜まり場だったというだけのことはある。ものすごい雰囲気だ。うろうろしていると
若いお兄ちゃんから日本語で声をかけられた。自分は日本語学校に通って勉強をしている。ガイドをしてあげる。ぼくらは友達だからお金は少しでいい、あなたが払いたいだけでいいと言ってきたのだった。バカだったからお願いしてしまった。ダルバールスクエアを見て廻ったあとスワヤンブナートに行き、それから自分の自宅に僕を連れていった。そこでお昼をご馳走になりその後お金の話になった。ぼくはお礼をこめて代奮発で10ドルを払うと言うと奴は急に不機嫌になりもっと払えと言ってきた。そうか、家に連れてきたのはそういう意味だったのか。これが街中だったらさっさと振り払って行ってしまえるのにここではそれもできない。結局万の金を払うことになってしまった。
教訓・・・・・・観光地で言い寄ってくる奴を信用するな。値段交渉は必ず先に紙に書いて


インドとチベットのはざま 宗教と信仰の話

ネパールはインドとチベットに挟まれているので宗教的にも多大な影響を受けている。そもそもお釈迦様は現在のネパール領のルンビニ出身であるから当然といえば当然。チベット仏教というのは仏教がヒンズー教の影響を大きく受けたものなのでそれらがごっちゃになっているとよく違いがわからない。ダルバールスクエアにあるのはヒンズー教の寺院でチベット仏教の寺院はスワヤンブナートやボダナートなどがある。人々の信仰対象としては明確に区別をしていないのではないかな。いずれもありがたきものという感じかな。
人々の生活は宗教や信仰と今なお根強く結びついている。朝早くから街のあちこちにあるお参りのスポットがありヒンズー教のガネーシャなどがまつられていたりする、そこに花をささげててしるしに額を赤く飾ったりする。街中でもタンカと呼ばれる神様の肖像画を売っていたり。


 インドとチベットのはざま  食べ物の話

食べ物もインドとチベットの影響が大きい。カレーを代表するスパイスを使った料理や、中華料理とも違うチベット料理を食べることもできる。またチャーというミルクティー(インドではチャイという)もある。ただし、ミルクティーと言ってもいわゆる英国風のミルクティーとは違うものだ。これが外国人用のレストランではなかなか出してくれない。地元人用のカフェか個人宅でしか味わえない。ネパール独自の料理といえば代表的なものがダルバートがある。これは米のご飯に塩味のレンズ豆のスープをぶっかけて食べるもの。おかずは野菜を煮たものくらい。ネパールの伝統料理はインド料理のようにスパイスを使うのではなくこんな素朴なものだったのだ。どこの国でも庶民が昔から食べてきたものは安くても栄養のあるものが多い。ぼくはチャーは地元用のカフェと友達になった子供の家でおかあさんにごちそうしてもらった。ダルバートも現地の人のお宅に招かれてごちそうになった。本当にご馳走というものではないが飽きのこないしみじみとうまいものです。また食べたいなあ。


 ひとことで言うと『しょうゆ顔のインド人』

ネパールに着いて驚いたのは女の人が美人だらけだったこと。男の人も彫りが深く端整な顔立ちをしている。その後いろんな人種、民族、顔立ちの人がいることがわかったが、それにしても美人が多い。系統としてはインド系の美人だが、インド人ほど彫りが深くなく目は大きくてパッチリしているが、他の部品は控えめですっきりしている。インド人の女性も美人だが少々濃すぎるといった感じはあるよね。ネパール美人はひとことで言えば『しょうゆ顔のインド人』と言えばピッタリ。


最終日 カフェで誘われて美人ぞろいのお宅訪問

さて、いよいよ最終日、カフェで遅めの朝食を食べていたらそこにたまたまいた男の人が家に遊びに来いと誘ってくれた。それでおじゃましたら驚いたのなんの、奥さんと妹さん、娘が2人そろって美人ぞろい。そこでお昼ご飯にダルバートをご馳走になったりいろいろと楽しく過ごした。夢のような思い出です。


少女に誘われて・・ふふふ

それからホテルをチェックアウトして夕方までダルバールスクエアをうろうろすることに。すると前にお菓子をおねだりされた女の子とまた会った。夕方まで暇なのでこの子達と遊ぶことにした。女の子の名前はプスパとマーラ。お昼ご飯にヤキソバ(チョウメン)を食べ、その後スワヤンブナートまで手をつないで歩いていったり、マーラの家におじゃましてチャーをごちそうになったりした。年上のプスパは10才で年下のマーラは9才、プスパはそこそこ英語を話せるようだ。
今日日本に帰るんだと言ったら連れていってくれと言う。パスポートが要るよっていってもわからない。妹だと思ってねと言われたが年齢的には娘でもおかしくはない。そしてタメル地区に移動して西洋風の喫茶店でお茶して遊ご飯にまたヤキソバを食べた。そしてそろそろ出発の時間になったので写真を送ってやろうと思い、名前と住所を書けといったらプスパは英語が話せるけれで文字は書けないのだ。店員に聞いてもらったが住所も知らない。しかたがないのでご両親あてに手紙を書いて渡した。こうしてネパール旅行は終わった。


帰国して

帰国して2ヶ月後、なんとあのプスパから手紙がきた。正確には彼女の兄の代筆だが。それで写真も送ってやれた。そしてそれから約1年間ほど文通をしていた。手紙には何度も遊びの来いと書いてあったがなかなかそうもいかない。こちらからの手紙は自宅あてではなく、兄さんの学校あてになっていてあるときこちらからの手紙が届かないという手紙が来るようになり連絡がとれなくなってしまった。これからネパールに行くみなさん、もしダルバールスクエアで写真の子に会ったらよろしく伝えてください。もう4年経ってますけど。会いたいなあもう一度。


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