ミャンマー旅の雑記帳


ゴールデンウイーク さあ、どこに行こうか

2004年のゴールデンウイークは5連休。中途半端だなあ。どうしようか?海外行くんなら最低でも1週間は欲しい。でも今回行かなかったら今年はもう機会がないなあ。5連休で行ける外国ってどこがある?近場はもう行ってるし、かと言って、バンコクはいまさらだし。バンコクからトランジットがその日のうちにできるとこと言ったら、カンボジア?ミャンマー?ベトナム?バングラデシュ?今まで行ったことがない方面で行けるところはミャンマーだ!!でも、不安がある。5月の東南アジアって酷暑期のはず。めちゃめちゃ暑いんだろうな。


ミャンマーってどんな国?

ミャンマーに決めたのはいいけれど、ミャンマーってどんな国?知ってることと言ったらまずはスーチーさん、軍事政権だってこと、昔の名前がビルマだったことくらい。ガイドブックで調べてみると、政治的な発言はだめ、インターネットはできない、それと入国するときに強制両替が200ドルあるらしい。でも200ドルくらいなら使うんじゃないか?


JTBでも問題ないじゃん

いつもマイナーどころの国に行くときは、地球の歩き方なんかの巻末に乗っている、そういう地域が得意な特殊な旅行会社に依頼していた。だけど、そういうところは郵便や宅配便のやりとりでまどろっこしい。今回はゴールデンウイークということもあるし、地元のJTBに依頼してみた。案の定、ミャンマーのビザの取り方も知らなかったようだけど、航空運賃はネットで下調べをした価格よりも安く買うことが出来た。バンコクからヤンゴンへのトランジットもタイ航空で日本からスルーで時間もちょうどいい時間に手配してくれた。やるじゃん、JTB。


まだ見ぬ誰かにお土産を買う

さて、旅行先も決まったらいろいろ買出しに行こう。最近は近くに100円ショップができたので、旅の使い捨ての品物がたくさんあっていい。見てると、おもちゃや民芸品のコーナーがあって、ちゃちだけどおもしろいものがあった。向こうで出会う誰かにあげるためにいくつか買っておこう。扇、ケンダマ、人形など。どんな人に渡すのかなあ。やっぱり子供たちかなあ?


乗り継ぎのバンコク空港で

日本からミャンマーには直行便がないから今回はバンコク経由になる。夕方少し前にバンコク空港に着いて飛行機のタラップを降りる。ものすごい熱気が迎えてくれた。いつもより暑い。もう夕方だよ、暗くなりかけているのに。今回の旅行きついかもしれない。

バンコク国際空港は、さすがに東南アジアのハブ空港だけあって規模も設備もすごい。トランジットで2時間くらいあるから時間を潰そう。まず、腹ごしらえもしなきゃいけないし、ネットもしたい。ちょうどヤンゴン行きのゲートの近くにカフェテリアとネットカフェがあった。麺を食べてネットでメールを数件処理。すると空港内にマッサージ店があるではないか?タイ古式マッサージではなくて足裏マッサージと肩もみ。足と肩で600バーツ。まだ貨幣感覚も物価感覚もないから高いんだか安いんだかわからない。でもまあいいかと足と肩を2人の女性にしてもらった。お大臣気分。


ヤンゴン到着。あれ?強制両替は?

予定より1時間遅れで飛行機はバンコクを出発した。1時間も飛んだろうか。ヤンゴンに到着した。着陸するときに地面がだんだん近くなるのを見るのが好きだが今回はもう暗いのでよくわからない。ヤンゴンの空港はとてもシンプルだ。入国審査の時に審査官のコンピュータの画面が丸見えになっている。へえ、スキャナーで読み込んでいるのか。なんだか画面がウインドウズっぽい。まさかね。無事イミグレを通過してミャンマーの人となる。事前調査ではここで強制両替があるはずなんだけど、みんな素通りしている。あれれ?どうなってるの?いいのかな?でも何も言われないからそのまま行くしかないわな。そのまま外へ出ると、空港のエントランスはタクシーのカウンターがいくつか並んでいて大きな声で客引きをしている。そんなにあっちこっちから声をかけられてもどうしていいかわからない。その中から色の黒い顔立ちの整った一番タイプの女の人のカウンターに向かったのは言うまでも無い。泊まろうとしているホテルの名前を言うと、『グッドホテル』と言ってタクシーのチケットをくれた。5ドルだった。


夜でも暑い! アフターヌーン、フォーティトゥ

チケットを持って空港の外へ案内された。暑い。案内のお兄さんは並んでいるタクシーの中から一台を選んで停めてくれた。タクシーに乗り込みチケットを見せて出発。夜の街は東南アジアのよくある風景だ。運転手が英語で話しかけてくる。『ベリーホット。アフターヌーン、フォーティトゥ』なんと!日中は42度になるって?早くもめげてきた。市街地に近づくと金色に輝く仏塔が見えてきた。ミャンマーに来たんだなあ。明日はあそこに行くのかな。車は市街地を抜けたところでホテルに着いた。ヤンゴンでのホテルは『may fair inn(メイフェアイン)』中に入ると、もう遅いからかオーナー家族だろう、食事中だった。チェックインのときに忘れずに確認した。『エアーコンディショナー、アンド、ホットシャワールーム』部屋に案内されてほっと一息。いつもながら最初の宿が決まるまでは心配する。でもこれでもう安心。早く晩ご飯を食べなきゃ。その前にクーラーにあたろうかと思ってスイッチを入れても動かない。あれれ?フロントに行って訊いてみるとクーラーは夜の10時からしか使えないらしい。う〜ん、そこまでは考えなかったなあ。確かに部屋にはクーラーが着いてる。でも使えないとは。ミャンマー恐るべし。仕方が無い、早くメシ食おう。


晩ご飯はインドカレー ここはインド人街か?

ホテルの外へ出てみた。ホテルは通りから1本脇に入ったところにある。通りにはまだ屋台がいくつか並んでいる。ぶらぶらと歩いてみると人たちの顔立ちがインドっぽい。東南アジアの顔ではないなあ。そう言えば、ミャンマーの隣はもうバングラデシュなんだ。インド系の人が多いのも納得か。おばちゃんがやってるカレーの店で食べることにした。カレーはやっぱり本場インドのカレーだ。食べていると隣の屋台のおじいさんが英語で話しかけてきた。おじいさんは70歳で元英語教師らしい、店は息子がやってるんだと。明日店来るねと約束して分かれた。


独特なミャンマーファッション

ガイドブックで情報はあったんだけど、ミャンマー人のいでたちは本当に独特だ。東南アジアにあれだけの国がひしめいているのにミャンマーだけが特別に特殊な感じがする。

なんと言っても一番は『タナカ』。これは子供や女の人が顔に塗っている白いおしろいのようなもの。木を粉にして作るんだけど、原料の木片を売っていることもあるし、クリームになったものを売っている場合もある。なんのためにこんあことやっているかって言うと日焼け止めらしんだけど、実際のところ効果があるのかどうかはわからない。女の人は子供も大人も塗っているんだけど、男の人は子供だけ。子供と大人のどこが境なのかはわからなかった。けっこう早くからやめているみたいだった。

それと腰巻のような『ロンジー』。これは本当に一枚ものの布を下半身に巻きつけるだけのもの。だからミャンマーの人は、軍人とか、警察とか駅員とか、ごく特殊な職業の人以外は大人も子供も、男も女もみんなこのロンジーをつけている。ぼくも買って付けてみようかと思ったんだけど、ぼくがこれをつけると、たぶん外国人に見られないと思ってやめた。

もうひとつ、サンダル。タナカもロンジーもしていない人をみることはある。だけど、このサンダルだけは街中ではいていない人を見つけることはほぼ不可能だった。国民の100%近い人がみんなサンダルを履いているっていうのも不思議な光景だ。

実際、あれだけ暑いとズボンを履いているよりロンジーのほうが涼しいだろうし、靴を履くよりサンダルのほうがいいだろう。だけど、ここまで徹底的にみんなが同じ格好をしているのって他の国ではまずないよね。


朝はバザール散策

初日の夜はなんだか眠れなかった。朝早く街が動き出した気配があったので散歩をしてみることにした。ミャンマーでも朝は割りと涼しいんだな。バナナや揚げパンなどを売っている。バザールのメインストリートにやってくると、風景はいつもの東南アジアのバザール風景だ。新鮮な野菜や魚や肉や果物が所狭しと並んでいる。いい、すごくいい。アジアのバザールを歩くのが旅の楽しみだ。朝ごはんは昨日知り合ったインド系のおじさんのいる店で食べた。メニューはビーフンのようなもの。食後におじさんたちとコーヒーを飲みながら歓談。ホテルに帰った。


ヤンゴンを歩いてみる

一服してヤンゴンの街を歩いてみることにした。ミャンマーは旧イギリスの植民地だったので、街中に植民地時代の建物が残っている。東南アジアとは思えないようなたたずまいのきれいな建物が多い。このあたりは道路も広くて立派な町並みだ。だけどそこは東南アジア、一本路地を入ると猥雑な町並みが広がっている。本当にみんなロンジーを着て、子供と女性はタナカを塗ってる。すごいね。


こんなもの食べました

ミャンマーは正直あまり食べ物で感動しなかった。ミャンマーカレーは赤い油の中に具が浮かんでいるようなものだった。モヒンガーっていう麺料理があるんだけど、味が濃くてさっぱりというものでもなかった。でも、このモヒンガーは何度か食べたんだけどね。


パゴダに行こう

ミャンマーに来たんならパゴダに行かんといかんでしょう。パゴダは金ぴかの仏教寺院のことだ。ヤンゴンの中心部にはヤンゴンの象徴とも言えるスーレーパゴダがある。昨日の夜にタクシーでヤンゴンに入ったときにも遠目に輝いていた。靴を脱いでパゴダに入る。ここでは靴下も脱がなくてはならない。ミャンマーの人はサンダルだから便利でいいな。中に入ると中央に巨大な仏塔があって、その円周上に区画がきられていて、そこそこに金ぴかの仏像がある。なんと、後光が電飾で光ってるよ。まあ、ところ変わればと言うけれど、日本の枯れたような味わいの仏教寺院や仏像とは別物だ。人々はそれぞれの仏像の前でお祈りをしている。ぐるりとまわっていると、水掛の仏像などもある。パゴダはスピーカーから流れるお経だか説法だかわかんないものが大きな声で流されている。本当に同じ仏教でもこうも雰囲気が違うとは。


パゴダはミャンマーのテーマパークだ!

いよいよミャンマーを代表する大きなパゴダの『シュエダゴォンパゴダ』に行くことにした。ここはとにかく巨大らしい。タクシーで近づいて驚いた。とにかく人が多い。パゴダの周りに大勢の人が。中に入ってもっと驚いた。今日はなにか特別な日じゃないのかと思うくらいものすごい人の数。そしてパゴダの広大さ。中央に巨大な仏塔、その周囲がいくつかの区画に分かれているのはスーレーパゴダと変わらないが、その規模と言ったら!ここも同じように靴と靴下を脱いで入ったんだけど、時間はそろそろ昼になって、床が暑いのなんの、焼けるよう。まるでフライパンの上を歩いているようだ。ところがミャンマーの人はわりと平気で歩いている。石の床には水が撒いてあって少しは歩きやすくなっている。だけど次第に水溜りが熱湯となってそこも歩けなくなってしまった。もい手段はひとつしかない。走って熱さを感じる前に次の区画にたどりつくというものだ。そろそろミャンマーの人も熱がり始めた。


暑くて死にそう。水をくれ!

歩いていると汗は容赦なく流れ落ちる。のども渇いて頭が痛くなってきた。これだけ汗が流れると体から水分だけではなくてミネラル分の喪失が気になってしまう。塩水が飲みたい。そう思いながら通路に入った。敷地はとにかく広大で屋根のある通路も階段で繋がっていて長い。途中に人だかりがあるので見てみると、冷たいジュースのようなものを配っている。大きな容器に入ったものをひしゃくで汲んでコップに入れている。これはありがたいと思って、並ぶとコップに注いで差し出してくれる。一気に飲み干すと、甘い味がした。ああ、そうか。体力消耗を防ぐために甘くしてあるんだなと思ったら、微妙に塩味もする。ちゃんと塩分も入れてあるんだ。その場で2杯。それからペットボトルにいれてもらった。


いっぱい飲んだ、サトウキビジュース

東南アジア名物と言えば、さとうきびジュースがありますね。ベトナムで初めて飲んで感動して、それ以降東南アジアに行くたびに飲んでいる。今回のミャンマーでも街のあちこちで売っていた。しかしまあ、今回は飲んだ飲んだ。街を歩くだけで暑くて暑くて、水分と糖分とミネラルを補給したくてたまらなくなる。さとうきびジュースは値段も安いし、味もさっぱりとして美味しいので、今回は旅行中毎日何度も飲んだ。


ヤンゴンはもういい。バゴーに行こう。
どうやって行こうか?列車で行こう。

午前中にヤンゴンの街を歩いてみたんだけど、街並みがいまひとつ面白くない。やっぱりミャンマーのような国でも首都は都会なのだ。規模の問題ではなくてね。これはここ数年のぼくの確信になっている。やっぱり田舎がいい。早く地方都市に行くことにしよう。今回は休暇が短いので移動にあんまり時間をかけるわけにはいかない。マンダレーあたりにも行ってみたい気はあったけど、ヤンゴンから近場でかろうじてガイドブックに乗っている都市を探した。それがバゴーだ。バゴーはヤンゴンから車でも列車でも数時間で移動できる。町の規模も小さい。そこに何があるというわけではない。行ったところでどんなことが起こり、どんな人たちと会うかだ。これはガイドブックには書いていない。自分で白紙に書き込むのだ。寺山修司も言っているではないか。『書を捨てよ、街へ出よう。街は開かれた書物である、まだ書き込める余白がたくさんある』と。

それで移動手段だけど、バスにするか列車にするか悩んだ。ミャンマーは旧イギリス植民地で鉄道が整備されているから他の国では味わえない鉄道の旅にすることにした。世界の車窓からだね。ヤンゴンの場合、当日切符は駅で買えるのに、翌日以降の切符はなぜか市内の予約センターで買わなければならない。この予約センターがまたわかりにくくて、なんかがらんとした殺風景な場所だった。ちゃんと買えたんだけど実際乗るまでは不安だったよ。


これが特等席?

翌日は早く起きて出発してタクシーで駅まで行った。ヤンゴンの駅も立派な建物だったが食堂などがない。けっこう早く着いたので時間をもてあました。切符はアッパークラスって言って日本で言えば特等席にあたる席だったけど、実際やってきた列車の席は、これが?っていうような破れた席だった。僕の席はなんだか普通の家具のいすが床にくっついているような単独席だった。隣の客車が普通車だったんだけど、そこを見るとこれでも特等席なんだなあと納得。席に座っていると、美人の女の人を送ってきたおじさんが、ぼくの席を間違いではないかと言ってきた。そう言われると自信がないので、切符を見せるとどうやら間違いはないらしい。ひょっとしてダブルブッキングかもしれない。おじさんたちは車掌と話をしてなんとか落ち着いたみたい。お姉さんは隣のボックス席に座った。ああ、隣に座りたい。


車窓の風景

ヤンゴン駅を出発して窓の外を見ていると、しばらくは住宅街が続いていたけど、やがて田園地帯になった。残念なことに、ぼくが行ったのは5月で、現地で酷暑期にあたる。だから、田園地帯って言っても緑の風景ではない。せっかくこんなに広い田園があるんなら、稲が青々として水牛に乗った子供がいるような風景を見たかったなあって思った。


バゴーに着いた

列車に乗ってたのは2時間くらいかな。バゴーに着いた。ガイドブックの地図では実際どのくらいの規模の街だかわからない。駅を出ると駅前の景色も寂しいもんだ。これでよし!


なんなの?このおっさんは!

さて、駅を出るとなんか変なおっさんが近づいてきた。この手の手合いはどこの国でもいるので、驚きはしないがうっとうしい。無視するに限ると知らん顔をして歩き出した。とりあえず、ホテルを決めなくては。ガイドブックであたりをつけていたので、その方向に向かって歩く。するとおっさんがついて来る。無視。そういえば腹が減ったな。道沿いに広がるマーケットの屋台でモヒンガを食べた。おっさんはまだ近くにいる。その後露天でサンダルを買うことにした。サンダル履けばミャンマー人だ。おっさんはまだそばにいる。大通りを渡って目指すワシントンホテルに着いた。おっさんはまだいる。チェックインすれば帰るだろう。やっとホテルにチェックインした。一休みして外へ出るとまだおっさんはいた。


メニージャパニーズそうします。

ホテルでくつろいでいると若いマネージャーのような人が訪ねてきた。観光の手配もできるというのだ。聞くと、バゴーの名所のようなところを車でまわるだけの観光旅行だったので断った。ところがけっこうしつこく食い下がる。価値観が違うから説明できないなとも思いながら、連れて行くんなら学校に連れて行けって言ったらそれはむずかしいらしい。自分はこのあたりの普通の人が住んでいるところを歩きたいのだと言っても理解してくれない。そんなことをしにくる人がいるわけないって感じかな。観光地をぐるっと車でまわるのは『メニージャパニーズ、そうします』なんだって。ぼくはメニージャパニーズじゃないんだな。
 観光は頼まなかったけど、帰りの車の手配はお願いすることにした。帰りは飛行機の時間に遅れるわけにいかないのでタクシーのチャーターをしようと思っていた。話を聞くと、このホテルのオーナーがヤンゴンに行くのでそれにいっしょに乗っていったらいい。でも金は取るのね。値段を聞くとタクシーのチャーター料金とほぼ同じだ。どうせ行くのにけっこうとるね。でも日本車ですよ。そうかあ、ホテルのオーナーの日本車か。そこらのおんぼろタクシーで帰るよりふかふかの車で冷房利かせて帰るのもいいなあ、帰るころには相当疲れているだろうしね。なんて思った。


サンダルを履いて歩いてみよう

5月のミャンマーは暑い。ミャンマー人のロンジーやサンダル姿も納得できる。ジーパンに靴に靴下で出かけると1時間もすれば汗でぐっしょりする。そこでバゴーに着いたらサンダルを履こうと思って駅前のバザールで買っておいた。ホテルでサンダル履いて外へ出たのはいいけれど、すぐ指の股が痛くなった。久しくサンダルや下駄などを履いたことがなかったのと、どう考えてもミャンマーのサンダルは痛い。我慢して歩いていたけどバザールの中を歩いているうちに耐えられなくなってきた。必死の思いでホテルに帰って履き替えた。


田舎の住宅街はいいなあ

泊まってたワシントンホテルの裏通りには地元の人の住宅街があった。やっぱ田舎町のこういうところを歩かなきゃね。東南アジア独特の高床式の家が並んでいる。椰子の木もある。ぼくが歩いているだけでものすごく注目されている。手を振ったりするとたいへんな騒ぎになる。カメラを向けると大騒ぎ。どうやら外国人にあまり接したことがないんだろうな。メニージャパニーズはこんなホテルの近くに寄りもしなかったのか。もったいないことをするなあ。その土地に住む人たちとの交流なくて、真にその国に行ったことになるのか?


子供たちが集まってきたぞ

めずらしい外国人が家の前にやってきたということで、好奇心旺盛な子供たちが近づいてきた。子供たちの写真を撮ってやるとそれはもう大喜び。デジカメだから写した画像をその場で見られるからおおはしゃぎになる。それを聞きつけて近所の子供まで大勢集まってくる。その子達もみんな写真を撮ってやらないといけない。そんな大騒ぎがひとつの通りごとに繰り返された。アジアの子供たちは本当にかわいい。
この後線路を渡った先の集落にも行ってみたが、こっちはインド系の住民が多いような気がする。住み分けをしているのだろうか?


線路も平気

バゴーは線路で街が分けられている。大通りは高架で線路をまたいでいるけど、住民たちは線路を普通に歩いて渡っている。高架の下の日陰のレールの上に座って休んでいる人たちもいる。一日にそんなにたくさん列車が来ないから、来たときにどければいいと思っているのだあろうか?動物も悠然と線路を渡っている。ぼくも日本にいれば線路を歩くなんてことはしないけど、ここではやっちゃんだね。郷に入れば郷に従えってね。


寝釈迦仏がスリーピングブッダ?

バゴー一番の観光名所に寝釈迦仏というのがある。ずっと数百年もジャングルの中で忘れ去られていたそうだ。せっかくなのでそこに行ってみることにした。メニージャパニーズになってみるか。それにしても、寝釈迦仏って、ただお釈迦様が寝ているのではなくて、涅槃なわけなんだけど、英語では『スリーピングブッダ』って言って、本当にただ睡眠しているお釈迦様になってる。そうじゃないでしょとガイドブックに突っ込みを入れてみる。
この寝釈迦仏は思ったよりも巨大なもので、全身を1枚の写真に納めることができないくらい。足の裏だけでも人間の倍くらいの大きさがある。これだけのものが数百年も忘れられていたなんて驚きだ。


物売りの少女 ダンボちゃんとの出会い

この寝釈迦仏に来たときに1人の少女から日本語で声をかけられた。観光地によくあるみやげ物売りの子供たちだ。この子の日本語はかなりうまい。それに『オニイサン カッコイイネ』となんて正直なんだ。売っているのは絵葉書で、別段ほしくなかったから適当にあしらって歩いていった。根釈迦仏はミャンマーの仏教遺跡なので、中に入るときは靴も靴下も脱がなければならない。少女は靴をここにおいて置いたらいいとか、いろいろかまってくる。そんなにしても買わないよ。中に入って寝釈迦仏の周りをぐるっと廻る。少女はまだついて来る。勝手に説明してくれたりする。さすがにそこまでしてくれると情も移ってくる。名前をきくとダンボだと言う。ダンボっていう象がいるの知ってる?ってきくと、知ってるって。耳の大きな象でしょ。年齢は14歳。どうみても10歳くらいにしか見えない。


すごい!9ヶ国語が話せるの!!

建物の出口の階段に座って少し話した。ここにはいろんな国の人がたくさん来るって。日本、韓国、台湾、アメリカ、フランス、イギリス、イタリア、ドイツなど。ダンボちゃんはそのほとんどのあいさつ言葉を話せるという。全部で9ヶ国語。すごいね。ほとんどの人はバスやタクシーでここに来る。歩いて来たのはオニイサンくらい。日本人は優しい。韓国人はケチだって。言うね。


じゃあ、いっしょに帰ろうか

ここまで関わって、なにも買わないのもかわいそうなので、10枚セットの絵葉書のうち1枚だけ買ってあげることにした。全部買ってもそんなに高くはないんだけどね。欲しくないものは欲しくない。さよならをして、また歩いて帰っていると、しばらくしてダンボちゃんが後ろから追っかけてきた。どうしたの?もう帰ることにしたの。じゃあいっしょにかえろうか。オニイサン、ホントニカッコイイネ。ひょっとして本気で言ってるの?しばらくいっしょに歩いた。じゃあ、わたしはあっちだから。ダンボちゃんは大通りから住宅街のほうに帰っていった。


お土産は全部ダンボちゃんにあげよう。また会いに行こう

ホテルに帰って考えた。そう言えば、日本から誰かのために買ってきたお土産があったけど、まだ誰にも渡してない。明日もう日本に帰るのに持ってっても仕方がない。このお土産はダンボちゃんに全部あげよう。そうだ、明日、また会いに行こう。


ダンボちゃんの家に行こう

翌日、ミャンマーの最終日、ダンボちゃんに会うためにまた寝釈迦仏に行った。ダンボちゃんはぼくを見つけると、エー、ドウシテ?!と叫んで駆け寄って来た。ダンボちゃんにお土産を持って来たんだよ。ホント?ウレシイ。ちょっと休憩しようよ。サトウキビジュースをご馳走するよ。ジュースを飲みながらお土産を渡していると、ダンボちゃんの仲間がまわりに集まってきた。ダンボちゃんは恥ずかしそうにしている。一人、なれなれしい女の人がいる。ダンボちゃんのお姉さんだって。話しているうちに、ダンボちゃんの家に連れて行ってくれることになった。お姉さんと3人で歩いて家に向かった。ダンボちゃんの家は前日別れたところからまだ少し歩かなければならなかった。ずいぶんとディープなところに入っていった。ダンボちゃんはお父さんがいない。家族はお母さんと、ヤンゴンにいるお上のお兄さん、それからしたのお兄さん、ここにいるお姉さん、それから弟が1人いるそうだ。ダンボちゃんに家に着いた。小さな家だった。そこでお母さんが出迎えてくれた。下のお兄さんも帰ってきた。弟は出家しているそうだ。いえでではない、しゅっけだ。なんと10歳でお坊さんの修行をしているのだ。ダンボちゃんの家族とみんなでたくさん写真を撮った。写真を送ってあげたいと思ったら、ダンボちゃんは字がかけないという。話すのは9ヶ国語も話せるのに、字は書けない。学校にいってないもんね。生活のために外国人相手に絵葉書売ってるんだから。お母さんが字が書けるので、住所を書いてもらった。でも家の住所ではなくて、寝釈迦仏の住所らしい。届くのかな?


お坊さんたちと

家の人と別れて、また3人でもと来た道のほうへ向かった。途中、たぶん弟が修行しているんだろう寺院に連れて行ってくれた。寺院といっても荘厳な建物があるわけじゃない。高床の大きな建物にお坊さんが何人かいるだけだ。そこに入るにもやはり靴と靴下は脱がなくてはいけない。そこのお坊さんにぼくのことを紹介してくれた。お坊さんは簡単な英語ができるので、ダンボちゃんの通訳とでお坊さんたちと話した。何を話したかは忘れた。とりとめもない話だったと思う。そこをおいとまして、大通りへ出た。ここでダンボちゃんとお別れだ。握手をして別れた。この出会いがミャンマーに来た理由かな、ふとそう思った。


これがオーナー?これが車?だまされた!!

やがて、夕方4時。ヤンゴンに帰る時間だ。ホテルにオーナーさんが車で来てくれることになっている。ところが、どこを見ても冷房のきいたふかふかシートの日本車なんてない。あるのは中古のピックアップトラック。荷台にはミャンマーのおばさんが5人くらい乗っている。運転手は30台くらいの兄ちゃんだ。まさか!これがオーナー?これが日本車?やられた!!これでタクシーチャーターと同じ料金取るんかい!さすがにぼくは助手席に乗るんだって。窮屈な席に座って3時間。国道をぶっ飛ばしながら車はヤンゴンに向かった。そして市内には寄らずにそのまま空港に直行してもらった。それはいいんだけど、降ろしてくれたところがどうも到着口で、出発口まではいったん外に出て相当歩かなければならなかった。最後の最後までやってくれるぜぜ。


さようならミャンマー

空港の中に入るとミャンマーの国内ではまったく会わなかった日本人が何人かいる。この人たちはどこに行ってたんだろう?時間に相当余裕をもって来たはずなのに、すでにチェックインが始まっていた。いつもながら、この手続きをすると旅も終わりになる。帰りの飛行機もバンコクで乗継だ。ついさっきまで居たミャンマーの田舎と、このバンコク空港の近代的な設備がどうも違和感がある。乗り継ぎに相当時間があったので、また足裏マッサージをしてもらった。ネットカフェも乗り継ぎフロアにあるよ。事前情報では確認できなかったけどね。そして深夜発、日本へ向けて飛行機は飛び立った。


結局、ドルの両替は20ドルだけだった。

入国するときに、あるはずだった200ドルの強制両替がなかったので、ドルからの両替はたった20ドルだけだった。ホテルと列車と帰りの車はドルで払ったから、ミャンマーでのその他の滞在費は20ドル、日本円で2000円ちょっとですんだってことだ。これで200ドルも両替していたら使い切れなかっただろうね。それにしても、そうして強制両替がなかったんだろう?謎である。


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