モンゴル旅の雑記帳


今年はチベットに行きたかった

年に1度の海外旅行、その年に行く国や地域は急に思いつく。今年は本当はチベットに行きたかった。香港、中国、台湾、ウイグル(シルクロード)と中華帝国の問題地域をまわってきてあと残された場所がチベットだったのだ。そこでいろいろとチベットに個人旅行をする方法をいろいろ探ってみた。ところが、中国当局はチベットへの個人旅行を厳しく制限していた。建て前としては5人以上のグループでないとだめ、全宿泊全食事を手配してガイドをつけること。もちろん、いろんな体験記などから実際は中国の成都やネパールのカトマンズに行って現地で相手を探せば形式だけの団体旅行になるということはわかっていた。でも、1週間程度しかとれない休暇の数日をそのためにつぶすことはできない。それでチベット行きは断念した。


モンゴル急浮上

チベット行きのために取り寄せた風の旅行社のパンフレットにモンゴルのツアーが載っていた。見ると、ツアー旅行にありがちな『どこかに行って何かをする』というものではなくて『マイルドステイ』と言って何をするでもないツアーというのがあった。確かにモンゴルも行ってみたい国のひとつではあった。しかし、モンゴルに行くなら遊牧民の暮らすゲルに行ってみたい、でもそういうところに個人で行けるはずはないと思っていた。それに旧社会主義国は個人旅行がしにくいというのがあるので現実的には行けないと思っていた。しかし、このパンフレットでモンゴルが急浮上してきた。


放っておくという手配はできるか?できる。

さっそく、そのツアーを主催している『モンゴル情報局しゃがあ』にメールを送ってあれこれ聞いてみた。マイルドステイは他にも外国人がいるのか?ガイドもいるのか?泊まるのは遊牧民のゲルか旅行者だけのゲルか。帰って来た答えはあまり期待どうりものではなかった。それでさらに自分のしたいスタイルを率直に伝えた。他の外国人と一緒はいや。ガイドも不要。とにかく放っておくという手配はできるのか。帰って来た答えは『できる』。この瞬間、モンゴル行きが決定した。


1週間のホームステイ

休暇の取れる期間と、モンゴル航空のフライトの関係で関空を金曜日出発、翌週の金曜日に帰着という大枠ができた。しゃがあから送られた現地スケジュールを見ると夜に着いてそのまま田舎の方に移動するということになっている。ウランバートルで無駄な一泊をする必要はないだろうということだった。う〜ん、わかってるねえ。


寒いのか?モンゴル

行くと決まったら情報収集。まず気になったのがモンゴルは寒いのかってこと。調べてみるとどうやら寒いらしい。じゃあ、荷物になるけど仕方ない。トレーナーとジャケットを持っていくことにした。


道頓堀でティッシュ調達

モンゴルにはトイレが無いということらしい。そのへんでするということだが、よくわからん。ぼくはトイレには軟弱で、今までどんな田舎の国に行ってもホテルには水洗トイレがあったから心配なかった。でも今回は本当に無いらしい。ではティッシュをたくさんもっていかないといかん。でも出発当日になっても調達ができなかった。当日、関空に行くために大阪に行って昼食を道頓堀でとろうとしたら、あちこちでチッシュを配っている。これ幸いとばかりに上着を脱いだりしながら何往復もして1週間分のティッシュを調達することができた。


空港のインターネット

最近の空港はすごいね。まあ、当然なのかもしれないけど、空港にインターネットができるスポットができている。それもインターネットカフェというのではなくて、ごく限られた機能だけがあるコンピュータが設置してある。それでいいもんね。空港でネットがしたいっていうのはたいていがメールで、あとぼくのようにホームページを持っている人はそのチェックをしたりとか、そのくらいだもんね。それが10分100円で利用できるからいい。


そそろ着陸、でも窓からは道も家も何も見えない

関空を飛び立った飛行機はやがて高度を下げ、着陸態勢に入った。ところが、いつもならだんだんと風景が変わってくるのに今回はそれがない。どういうことかというと、初め地図のような地形が見えていたのが、だんだん建物が見えてくる。そのうち車が動いているのが見えて来る。そしてついに人の姿が見えてくるようになるのだ。それが今回はいつまでたってもでこぼこした草原が続いている。飛行機はすでに着陸寸前。でもまだ建物も人も見えない。どういうこと??どうやら空港はけっこう郊外にあるようだ。


機内大爆笑。外の気温はは32℃

ついに着陸した。現地時間は夜の9時、でも少し明るい。最後の機内放送があった。『当機は無事着陸しました。現在の気温は32℃』ここで機内に爆笑が起こった。そりゃあそうだ。みんなモンゴルは寒いと聞いて来てるはずだ。それなのに夜の9時に32度はないだろう。どうなってるの??


出迎えが居ない

ぼくは荷物が少ないので機内持ち込みしかない。だから荷物の受け取りを通らなくていいので早く入国することができる。今回もさっさと通過して1番に外へ出たら来ているはずの出迎えの人が居ない。しばらくそのまま待っていたがいつまでたっても来ない。だんだんと心配になってくる。頭の中では最悪の事態を想像している。何かの手違いがあったのか。どうしよう?とりあえずウランバートルに移動してホテルで一泊するか。でもどこにどうやって連絡すればいいんだ?気が気ではなくなって、外に入ったり中に入ったりしているうちにやっとガイドがやってきた。もうびっくりしたよ。なんと『しゃがあ』の西村さんも一緒ではないか。聞いてみると手続きに時間がかかると思ってゆっくりしていたらしい。もう!そして西村さんがぼくの荷物を見て『たったそれだけ?旅慣れてるねえ』。いいんだよ。


すでに真っ暗。そのまま田舎へ

予定ではこのまま田舎に移動することになっている。すでにあたりは真っ暗になっている。案内された車は旧ソ連製とおぼしきオンボロ車だ。機械油の臭いが充満している。車の中にはなんだかよくわからないモンゴル人の親子が3人いる。その居心地の悪い車で出発した。ガイドさんは現地の旅行社の人、運転手はその人の息子だそうだ。そして車はウランバートルの街中に入っていった。モンゴルというと草原しかイメージがなかったけど、そこはやはり首都だから都市なんだ。高層アパートも見える。気になるのはもう夜の10時を過ぎているのに大勢の人が街中をうろうろしていること。しかも子どももいるぞ。そのうち車はある団地のようなところで泊まった。どうやらここが自宅らしい。そこで寝袋を持ってきた。ぼくに貸してくれるらしい。


車でひたすら3時間いつになったら・・・

約40分ほど市街地を抜けるとやがて周囲は草原が広る風景に変わった。もう暗いので遠くのほうは見えない。同じような風景が延々と続く。そのうち車が故障したらしく、路肩に寄って止まってしまった。携帯電話でどこかで連絡をとりながらいろいろと修理している。不安がよぎる。どうなるんだろう?もういいかげん疲れてきた。んなんとか発進。途中で給油と休憩をとってただひたすら草原の中の一本道を車は進んでいく。


ついに道なき道を

急に車は今までの道を外れて道に無い川原のようなところに入っていった。そして何の目印もない砂地を進み始めた。いったい何を頼りに進んでいるのかわからないがときどき方向転換をする。本当に着くんだろうか?


やっと着いた。

しかし、ついに車は止まった。目の前にはあのゲルが闇夜に浮かんでいる。時間はもう夜中の2時を過ぎているはずだ。するとゲルの中からそこの主人と思しき人が眠そうに不機嫌そうにでてきた。ガイドと少し話したと思ったら、そのまま寝てしまった。ぼくたちは勝手にゲルの中に入った。


これがゲルか。きれいだね

ゲルの中に入ってびっくりした。外見からは想像ができないほどカラフルできれいなのだ。写真のページを見てもらったほうがわかりやすいと思うけどオレンジ色を基調とした色合いと凝った模様それに意外と広い。へええ、これがゲルか!


いきなり寝よう

さて、着いたはいいが、もう夜中の2時を過ぎている。しかも家の主人は寝ている。ぼくら車で来た一行はゲルの床に寝袋をしいて寝ることになった。でも海外初日の夜はただでさえ眠れない。時間は過ぎていくがどうしても眠れない。


朝、さあてどうしたもんか

少し寝たんだろうか、朝の6時ごろに周りが動き出した。車が出発するようだ。そしてぼくを残して車は出て行った。これからどうしようか。言葉も通じない。もちろんそれは覚悟の上。でもどうしようか。


とにかく食べるしかない

ぼうーっとしていると朝ごはんを持ってきてくれた。朝ごはんはミルク茶(スータツァオ)とパンと生クリームのようなもの(ウルム)だった。これが毎朝の食事なる。でもぼくはそれを1人で食べた。他の人たちはどうしているんだろう?事前情報でモンゴルでは出されたものはとにかく食べるのが礼儀。特に旅人にはもてなしてくれる風習があるそうだ。それならばとにかく食べるしかあるまい。


なにしたらいいんだろう

朝ご飯を食べて外に出て見ると、家の人たちはそれぞれの仕事をしている。そもそも普通の遊牧民の家にお邪魔しているので当然と言えば当然。仕方がないので犬を手懐けてみたり、うろうろと歩き回ったりしてみた。睡眠不足もあってゲルの中に戻って寝ていると他の人たちもそれぞれ中に戻って寝たりしている。いったいどういうペースで動いているのかわからない。そもそも初日なので一日のスケジュールさえわからないのだ。結局初日はこうやって寝て過ごした。


ゲルの中にテレビが!まさかの衛星放送。

ここに来たときから不思議に思っていたことがある。ゲルの外に巨大なパラボラアンテナがあるのだ。最初は通信用かなと思っていた。ところがそうではなかった。ゲルの中に小さな白黒テレビが置いてあって、これがちゃんと映るのだ。つまりテレビの受信用のアンテナだったのだ。電源は車のバッテリーを使っていた。家族は一日の仕事が9時ごろ終わったら2時間ほど全員が集まってテレビを見て過ごしている。まさか大草原の中でテレビを見てるなんて思わなかったなあ。放送されてる番組はモンゴルのものもあるし、外国の吹き替えもある。この人たちは外国の風俗を見てどう思っているんだろうなんて思ってみていた。


家事手伝いをしよう

さあ、2日目だ。さすがに今日もぼうーっとしてはいられない。なんかしないとここに来た意味がないじゃないか。じゃあ、家族の仕事の手伝いをしようと決めた。朝は牛の乳搾りをしているのでそっちのほうに行ってみた。だけどそこで何をしていいのかわからない。まずはじっとみんなの動きを見てみた。そして後追いをしながらとにかく動いてみることにした。


師匠は15歳

問題はだれの動きを見るかだ。ぼくはターゲットをダワードルチェという名の男の子に決めた。この子がやることを後ろからついて歩きながら牛を引っ張ったり、追いかけたり集めたりすることから始めた。最初は水汲みなんかを手伝おうとすると、しなくていいなんて仕草をしていたが、日が経つに連れてわかってくれたらしくいろいろと用事を言ってくれるようになった。そのほうがこっちも楽だからね。


だんだんわかってきた家族構成

ゲルは3つあった。そのうちひとつは台所ゲルと言って食事を作ったり牛乳を寝かしたりする専用のゲルであとの2つが人が住んでいる。ゲルは人の出入りが激しくて毎日新しい人が来たり、夜に知らない人が寝てたりしてなかなか家族構成がわからなかった。でもそのうちにだんだんとわかってきた。ぼくが泊めてもらったゲルの家族は夫婦と子ども2人の家族。もうひとつのゲルに親戚にあたるもう一家族がいる。ややこしくしているのは、奥さんの兄弟姉妹が夏の間だけ手伝いに来ているらしいのだ。ぼくの師匠のダワードルチェも奥さんの弟になるらしい。ということはずっとあとになってわかった。


えっ!モンゴルには姓がないの?

どうやらモンゴルには家の名前、つまり姓がないそうだ。どうしているかと言うと、自分の名前の前に父親の名前をつけるという。例えばホストファミリーのアリヤさんの娘のホータンちゃんの場合、アリヤ・ホータン。アリヤさんちのホータンちゃんってとこかな。通常名前を書くときはA.ホータンになる。驚きました。でもまあ、日本でも庶民に姓が許されたのは明治になってからだし、ヨーロッパでも東ヨーロッパによくある○○ビッチやマクドナルドのMcは○○の息子って言う意味合いだったらしい。それがいつしか固定して姓になったとか。だから世界史的にみれば珍しくないのかも。


昨年は一面緑の草原だったのに

モンゴルの草原のイメージというと一面の緑のじゅうたんを思い浮かべると思う。だけど、実際にぼくが見た草原は茶色いものだった。聞くところによると、今年は以上旱魃で雨が少なくて草がうまく育っていないそうだ。この土地も昨年は絵葉書のような一面の緑だったらしい。そんな殺生な。一生に一度しか来られないのよ。


本当は別のゲルに行くはずだった

これは、あとになって聞いたものだけど、ぼくは本当はここのゲルではなくて別のゲルに行くことになっていたらしい。それが車の故障で時間がかかったために近いところに急遽変更したらしい。そして、本来行くはずだったところは、この旱魃でたいへんだったらしい。これも運命だね。


モンゴルの食生活

事前資料によるとモンゴルの遊牧民の食事は夏は乳製品、冬は肉が主だとあった。実際にぼくが食べた食事はこんなものです。

朝ごはん
朝のメニューは決まっていた。

ミルク茶(スータツァオ)
普通に考えるミルクティーよりもずっとミルクの量は少ない。それに塩が入っている。朝搾った牛乳で作り立てを飲む。

パン
パンというより揚げパンやカンパンに近いようなものです。これも現金収入で買った小麦粉で作っていました。

ウルム
牛乳を容器に入れてそのまま数日間放置すると上にクリームが浮いてくる。これが固くなったものがウルムです。これをパンにぬって食べる。


昼と晩ご飯
こんなもの食べました。

羊の内臓料理
羊を解体したら肉は干し肉にして内蔵はすぐに調理する。だけどただそのままごった煮にするんじゃなくて、それぞれの部位に応じた下処理がしてある。血のソーセージといったものもある。食べるときはナイフを片手に切りながら食べる。

羊肉の塩茹で
解体した羊肉は保存が利く干し肉にするが、新鮮なうちに食べることもある。羊の茹で肉はたいへんな貴重なもので食べるときはナイフで最後の最後までこそげて食べる。そして最後は骨を割って骨髄をすするところまでする。絶対に無駄にしないのだ。でも羊の臭いが凄いです。ゲップが臭い。シルクロードで食べた羊肉はここまで臭くなかったのにどうして?やっぱりあれかな。モンゴルの肉はラムの時期を過ぎてマトンになってるんじゃないかな。

干し肉と麺の炒め物
羊の干し肉のひき肉とうどんのような麺の炒め物。

干し肉の炊き込みご飯
羊の干し肉とじゃがいもの炊き込みご飯

ボーズ
中国語のパオズ(包子)からきたものか。中身はもちろん羊肉。これはモンゴルのめでたいときに食べるものだそうです。

揚げ餃子
これも餃子の中は羊肉

スパゲティナポリタンのようなもの
たぶん麺はスパゲティの麺だと思う。それに羊肉を具にしてケチャップで味付けしたもの。

ポテトサラダ
これは想像通りのポテトサラダです。羊肉から開放されてほっとする料理です。

搾りたての牛乳
牛乳は搾ったら必ず沸かす。いくら遊牧民とはいっても生乳は飲まない。この搾りたての牛乳を分けてもらって飲むととっても美味しい。

ヨーグルト
牛乳からはいろんな乳製品が作られる。ヨーグルトもそのひとつ。どんぶりで飲ませてもらったがこれまた濃厚で美味しい。ヨーグルトは子どもの肌に塗ったりもするんだと。

アルヒ(お酒)
ヨーグルトから蒸留酒を自家製で造る。釜の上に鍋を置いてヨーグルトをいれる。それに筒状のものをかぶせてその上にまた鍋をおいて、その中には水を入れる。
蒸留の基本を簡単に再現したものだけどこれでちゃんとできるからおもしろい。できたお酒は無色透明で度の強い焼酎のような感じ。

アイラグ(馬乳酒)
飲んだ感じはヨーグルトにお酒をいれたような味。たくさんは飲めない。


うけたお土産、うけなかったお土産

今回は一般の家庭にお世話になるのでたくさんお土産を持っていきました。そのなかで喜ばれたもの、喜ばれなかったものを紹介します。

喜ばれたもの

ビーチボール
実はこれ買ったものじゃないんです。大阪の道頓堀でたこ焼きを買ったら景品にくれたものです。皮肉なことにもらい物が一番評判がよかったです。特に子ども達は大喜びでした。複雑な心境です。

竹トンボ
空港の売店で買ったものです。遊び方をゲルの中で教えてあげたら、みんなゲルの中で飛ばすものだから危なくってしょうがない。

ケンダマ
これも空港の売店で買ったものです。モンゴルは娯楽に飢えているようでこういう遊び道具は喜んでもらいました。

折り紙
これは一瞬でした。鶴の折り方を教えてあげたら数時間遊んでくれました。


喜ばれなかったもの

紙人形
外国に持っていくんだからジャパンテイストなものがいいだろうと思って紙人形を持っていったんですが、これは不人気でした。あれあれ。


これは便利!モンゴル指差し会話集

外国に行くのに会話集は必携です。たいていはガイドブックに付属しているのでそんなに困らない。普通の旅行ならその程度でもよかった。しかし、今回はホームステイだったのでもっとディープなコミニケーションが必要だった。ぼくが持っていった会話集ではそこまでの意思疎通ができなかった。ところが、ゲルには以前来た日本人が置いていった『指さしモンゴル語会話集』という本があったのだ。これは場面ごとに絵と言葉が書いてあって、カタカナの発音も書いてあるので、本を見ながら絵を順番に指さしながらカタカタ読みで発音をしていけば、少々発音が悪くても相手に意思が通じると言う優れものだった。結局滞在中はこの本のお世話になった。日本に帰ってきてその本をネットで検索したらヒットしなかった。どうしてかな。すごくいいのに。


モンゴルのタブーの検証

外国に行くときはその国の風習、特にやってはいけないこと、つまりタブーですね、これをよく調べておく。いくら知らない国に来た外国人だといっても相手に失礼なことをしていいはずはないからだ。で、モンゴルのタブーも事前に調べたらこれがけっこう多い。日常生活をしていても気にしなければならないようだった。ところが、実際に行ってみると中にはそれほど厳格ではないようなものもあるみたいだった。これは、たまたまぼくが行ったところでそうだったということでしかないので、モンゴル一般がそうだということではないので注意してください。

ゲルの中の柱の中に物を通してはいけない。
これは怪しかった。ボールを投げたりしてたよ。

酒を飲むときは指につけてはじく
これもあんまりやってなかったぞ。

馬近づくときは左側に。
これは本当です。危ないから。

馬を捕まえる棒をまたいではいけない。
これも本当でした。1回やったらマジ怒られました。やりなおしですよ。

川でおしっこやせっけんを使ってはいけない。
おしっこはわからないけど、せっけんは使ってたよ。


すなふきん野グソする

モンゴルにトイレが無いことは知っていた。でも『そのへんで』と言われても実際のところどうなのかはわからなかった。まあ、みんながしているのを見ればわかるだろうと思っていた。ところが、現地に着いてみたものも他の人がトイレをしているのを見ることができない。いったいいつどうやってやっているのか。しかも、延々とした平原で隠れるところなんか無い。川でしてはいけないというからどうしたらいいんだと考え続けた。緊張のあまり便秘になったのか、都合よく初日は1度ももよおさなかった。しかし、ご飯のおかわりを促されるままにしているとさすがに限界が来たのか、2日目の昼間についにそのときが来た。もうだめだ。どこか場所を探さなければ。見れば、少し離れたところに低い砂山のようなところがった。その向こう側に行ってしゃがんでしまえば反対側からは見えない。しかもそこは砂地になっている。よし、猫方式で行こう。まず、砂地を足で掘って穴を作った。それをまたいでいよいよズボンとパンツを下げた。日常生活で決して味わうことの無い猛烈な開放感、お尻にあたる心地よい風。意を決してしゃがんだ。コトが済んだ後そそくさとパンツとズボンを引き上げた。そして意外と健康的な自分のモノを眺めた後猫のように砂をかけて終了。その初めての心地よさがクセになって、2回目からは、そのままおしりを出したまま風を感じることしばし。1度などちょうどぼくのトイレ場に羊や山羊がたくさんいて、たくさんの目に見られながらしゃんでいた、。でも最後まで他の人がどうやっているのかわからなかったなあ。


すなふきん馬に乗る

ああ、知らなかったよ、知らなかった。馬があんなに揺れるなんて知らなかったよ。正直モンゴルに行くって決めても乗馬には興味なかった。日本でもやったこともないし、そもそもやろうとも思わなかったからね。でもせっかく乗れる環境が目の前にあるんなら、もう二度とそういう機会はないと思うから一生の思い出に乗るのもいいかなと思ってお願いした。生まれて初めて馬に乗った感想がさっきのあれ。馬は人を見るっていうからなめられないように堂々とした態度を装って手伝ってもらいながら鞍にまたがった。意外と高い。そして手綱を左手でしっかりと持つ。綱で引っ張ってもらいながら馬が歩き出すとまあ揺れること。からだがぐわんぐわんまわって不安定なこと。上半身は脱力をして振動を吸収する。足はあぶみをしっかりと踏み込む。この上半身と下半身の力の配分がとても難しい。少しでも怖いと思ったら体に力が入ってますます揺れて怖い。一時歩いたあと、今度は早足になった。すると今まで以上に揺れる揺れる。体の脱力をつぶやきながら必死で耐える。今度は駆け足、すると今までとはまったく違う上下の揺れがくる。腰を鞍につけていたら揺れが上半身を直撃する。足を踏ん張って中腰の姿勢で少し腰を浮かせる姿勢を保つのがいいそうだ。やってみると確かに上半身は楽になるが、その代わりに足がものすごくつらい。上半身を楽にしようとすると下半身がつらい。その逆もそう。今まで馬に乗ってるのを見てると優雅で簡単そうな感じがしたのに実際乗ってみるとこんなにたいへんだとは思わなかった。ごめんなさい。これからは馬に乗っている人を尊敬します。
ここで、ヨーロッパ式乗馬(日本もこれ)とモンゴル式の乗馬の違いについて、聞きかじりですが。まず鞍の位置。ヨーロッパ式は少し後ろにあって足を前に踏み込む。モンゴル式は真下に足を踏み込むような位置に鞍がある。次に手綱。ヨーロッパ式は両手で手綱を持つのに対してモンゴル式は左手一本で手綱を持つ。こんなところかな。だからモンゴルで乗馬を習った人が日本の乗馬教室に行ったらこっぴどく怒られるらしい。と、椎名誠さんの本にありました。


馬で遠出をしてみた

乗馬2日め以降は、毎日1時間程度の遠出をした。もちろんちゃんとついてきてもらって、馬が暴走しないように綱で繋げてもらっている。そして方向を決めて片道30分くらいの遠出をした。30分も乗るだけでたいへんな疲れようで、振り返るとゲルははるか遠くに見える。この距離をまた帰るのかと思うとぞっとする。やがて景色のいいポイントで馬をとめてしばし休憩。2日目などよその遊牧民の人たちと遭遇した。ぼくのホストのアリヤさんは30歳そこそこくらいでまだ若手になる。そこで会った遊牧民の人たちはもうおじさんで、その濃いことと言ったら。


夜の嵐 一夜明けて

二日目、夕方から風が強かった。夜中になって嵐の様相になってきた。ゲルを雨と強い風が打ちつける。夏だったのでゲルの天窓と幕の床付近は風通しのためにあけてあった。アリヤさんは天窓を閉め、幕をおろして対策をしていた。今年は乾燥で牧草が育っていないということだったので、恵みの雨になるのかなと寝床の中で思っていた。一夜明けて外に出て見るとすっかり風雨は止んでいた。砂地を足でちょっと掘ってみるとすぐ下から乾いた砂が出てきた。音だけだとけっこう降ったように感じたんだけどそうでもなかったみたい。


モンゴルで魚釣り

昼間はけっこう暇なのでいろんなことをする。ある日、師匠のダワードルチェと川に魚釣りに行った。魚釣りも日本では全然やらないのだが、せっかくだから。ダワードルチェが持ってきた棹はなんとも原始的で棒きれに糸と針がついているだけの簡単なもの。正直こんなんで釣れるわけないと思ってた。餌はなんとそこら中にいるバッタ。これを半殺しにして生きている状態で針に付ける。で、ここからが日本のやりかたと違うのだ。普通だと棹の糸の付いている反対側を手に持って糸を垂らしますよね。ところがここのやり方は、棹の糸の付いたほうを川岸に差し込んでそのまま放置する。こんなやり方で釣れるはずがないと思ってた。ところが、なんとそれで釣れたんです。しかも大きな魚が3匹も。ウソみたいに。あれかな、このへんの魚は釣りに慣れていないからかな。あんな簡単であんな大きな魚が釣れるなんて思いもしなかった。
そう言えば、モンゴルには幻の魚のイトウと言うのがいて、開高健が書いているということですが、聞くところによるとイトウは幻でもなんでもなくて市場に並んでいるそうです。あれは案内したガイドが釣れないところに連れて行ったのが悪いそうですよ。


モンゴルで魚卵食べないの?

これだけの釣果をもってゲルに帰った。さっそく食べようということになってさばいていった。すると中から大きな卵が出てきた。日本人ならこれは大喜びなんだけど、なんとモンゴル人たちはこれを捨ててしまえと言うではないか。どうやらモンゴルでは魚卵を食べないらしい。へええ!肉食文化は相当に進んでいるのに魚食はやっぱり日本人のものだな。強行に食べることを主張したのだが、さて、どうやって食べようか。日本だったら出汁で煮て魚の子として食べるんだけどなあ。するとアリヤさんが小麦粉と胡椒を持ってきて魚卵にまぶし始めた。うわあ、なんてことすんの?こんなの美味しいわけ無いじゃん。そしてこれを油で揚げ始めた。魚卵を油で揚げるの?正直さすがの日本人でもこんな魚卵の食べ方は知らない。とは言え、さっそく出来上がった料理を恐る恐る食べてみた。するとなんと!!美味いよ!美味いじゃん!びっくりした。けっこういけるよ。胡椒を利かせているのがミソだな。こりゃあ意外な発見でした。


遊牧民じゃなくて牧民って言うんだよ

今まですっと『遊牧民』という表現をしてきましたが、『牧民』っていう表現が通用しているらしい。遊んでいるんじゃないってこと?なんだかよくわからないけど今後はそういう表現にします。


牧民の一日

牧民の朝は早い。まだ暗いうちから起きて馬集めに行く。馬集めと言うのは、モンゴルの馬は繋がれてないので夜のうちに勝手にあっちこっち行くわけです。それを朝また集めに回るということです。それから女子どもが起きて乳搾りして牛の放牧、それから搾った牛乳を調理して朝ごはんの準備。それから羊と山羊の放牧。それが済んだらあとはゆったりとする。水汲みがあったり、薪拾いがあったりするが、たいしたことはない。昼がきたら昼ごはんを食べて、暑くなったら川で遊ぶ。夕方になるとまた乳搾り、それを調理して晩ご飯、それから羊や山羊が帰って来るのでそれを囲いの中に入れてだいたい終わり。それから2時間くらいテレビを見て寝る。これがだいたいの一日のスケジュールです。日によっては羊の出荷があったり、羊の解体をしたりする。


すなふきんの一日

ぼくは基本的に師匠と同じ動きをした。一日の動きを順に紹介します。


乳搾りの手伝い
朝7時くらいに起きたらまず乳搾りの手伝い。乳搾り自体を手伝おうかと思ったけど、これはけっこう難しい。一度だけやらしてもっらたらとても手伝いにならなかったから止めにした。乳搾りの手伝いの手順は、まず子牛を柵の中に追い込む。それから母牛をその周囲に集めてくる。そして、子牛を順番に柵から出す。すると子牛は自分の母牛のところに走っていって乳を吸い始める。母牛から乳が出るようにするのを子牛にやらせると言うわけ。乳首がいくつかあるから順番に吸わせていく。十分に出るようになったら、子牛を母牛から無理やり引き離す。そして首輪に紐を繋いでおく。それから人間が乳を搾る。適度に搾ったら子牛を放してやる。すると子牛は母牛のところに飛んで行ってまた乳を吸い始める。ちゃんと子牛の分も残してやると言うわけだ。肉骨粉なんて絶対に与えない。これを順番にやっていく。子牛は十分に乳を吸ったら自分から離れるので子牛と母牛を別の方向に追い立てて放牧する。牛達は自分勝手に草を食べながら移動していく。


羊と山羊の放牧
前の晩に山羊は柵の中に、羊は柵の周りに集められている。山羊と羊はいっしょに行動させているので厳密に分けられていない。朝は柵の中にいる山羊を外に追い出すことから始める。そして一定方向に向かうようにはみ出たやつらをまとめるように追い立てる。これがけっこう難しい。山羊も羊も臆病だから近くを走れば反対方向に走り出す。そうやって山側に向かうようにするのだ。 


朝ごはん
昼ごはん

川遊び
夏は日中暑くなるので毎日のように川遊びをした。パンツ一丁になって川に入る。ぼくが行ったところの川は風景的には草原の中を流れているのだが、首都ウランバートルよりも下流にある。それを考えるとちょっと引いてしまう。でも川遊びなんて日本にいたらすることないもんね。それにいっしょに遊ぶのは子ども達だからおいかけっこや水かけっこなんかをするんだけど、自分の年齢や日本での立場がふっと頭をよぎるとこんなことしてていいのかなあと思ってしまう。でもそれも初日だけ。あとは子ども達といっしょになって思い切り遊んだ。

昼寝
夕方まではすることがないので寝てすごす。

夕方の乳搾り
朝と同じ手順で乳絞りをした。

晩ご飯

山羊と羊の追い込み
放牧から帰って来た山羊と羊を一箇所に集める。これがまた一苦労。これで9時ごろになる。9時にやっと日が暮れる。

テレビ観賞
みんなといっしょに衛星放送を見る。

これで11時ごろ、眠りにつく。こんな日々を過ごしていました。


牧民のスーパー能力

牧民の能力の凄さを聞いた。彼らは遠くの山にいる馬の姿が見えると言うのだ。しかも何頭いるか、そしてすごいのは、その馬がどこの家の馬か判別ができるということだ。自分の家の馬の顔なら近くで見ればわかるというのはわからないではない。だが、遠くにいる他人の馬の判別までできるなんて。ただでさえ、馬に乗ることなどの身体能力もすごいのに。あと感心したのは、牧民の仕事は男女別に分担されている。だけど、男が女の仕事をできないわけではなくて、子どものころは男女問わずに両方の基礎的な仕事をするので基本的にモンゴルの牧民は万能なんだそうです。草原ようなところで生きていくには、基本的な生活の術はすべて見に付けておく必要があるんあだろうなあ。


人の出入りが激しいゲル

ゲルに宿泊していると驚くことがある。草原の真っただ中にありながら、けっこう人の出入りが激しいのだ。毎日のように車や馬で人がやってくる。それは親戚もあるし、ご近所さんもあるようだがはっきりとはわからない。しかし、みんな気軽に中に入って茶を飲んでパンをかじる。朝起きてみると知らない人が床に寝ていることも少なくなかった。


おみやげにもらったモノ

ついにゲルを去る日がやってきた。ホストファミリーからお土産をいくつかもらった。嗅ぎ煙草のビンを入れるカラフルな布、ヨーグルトから作った蒸留酒、牛乳を固めて搾って干して作ったチーズのようなヒャスラグ。こんなものもらいました。


迎えの車が来ない!!

予定では迎えの車は12時にくるはずだった。ところが12時を過ぎても車が来ない。次第に不安になってきた。子どもと遊びながら待っていたけど頭の中では最悪の事態を想像していた。何かの手違い?このまま迎えが今日来なかったら予定の便で日本に帰れない。そうなったらどうなる?飛行機は週1便しかないぞ。なんとかウランバートルまで連れて行ってもらって北京経由の便で帰るか。心配で心配でたまらなくなってきた14時ごろ、遠くから砂煙をあげて車がやってきた。


帰りはパジェロ4WD

やってきたのはなんと日本車のパジェロ。遅れた理由はタイヤがパンクしたからだそうだ。ほっとした。これでなんとか帰れる。しかも車は往路とは違って快適そうなパジェロじゃないか。あるんじゃん。どういうわけかわからないが、ホストファミリーの家族もいっしょにウランバートルまで買出しに行くらしい。そうか、旅行者と一緒にいけば交通費がかからないからか。


逆カルチャーショック首都ウランバートル

モンゴルに来てすぐ草原に行って1週間過ごしていたので、ぼくのモンゴルのイメージは草原とゲルと牧民の暮らしだけしかなくなっていた。それに初日はもう暗かったから街の風景もよくわからなかった。しかし、昼間に見る街は今までに見てきたことのある途上国の首都と似ている。雰囲気的にはホーチミンをうんと地味にしたような町並みだった。以前からわかってはいたけれど、いかに途上国とはいえ、やっぱり首都は首都、都市であることに間違いない。この風景は逆な意味のカルチャーショックだった。


田舎のモンゴル人、都市のモンゴル人

どんな先進国でも途上国でも都市に住む人は都市の人、田舎に住む人は田舎の人だという考えを持っている。モンゴルでもそれは痛感した。ウランバートルに住む都市の住民は馬に乗れるんだろうか?牧民の人たちと同じような能力を持っているんだろうか?疑わしいな。基本的に牧民たちは自給自足ができているが、ここの人たちは主に賃金労働だろう。家も高層住宅が林立している。24時間スーパーもある。歩いている女の人の服装もゲルでは考えられないようなセクシーなものも多い。モンゴル最後の夜に泊めてもらったのは現地旅行社の社長さんの家だった。ホストファミリーのアリヤさん一家もいっしょに社長さん宅に行ったのだが、草原にはないものばかり、高層住宅、エレベーター、じゅうたん、カラーテレビなど。草原では万能のアリヤさんもこの都会の高級住宅の一室では田舎者にしか見えない。それはぼくにとってとても悲しい姿だった。なんかおかしいよ。
食べ物もそうだった。ぼくが草原で食べていた食事はまさに身土不二の思想。害のある添加物も一切ない。こういうものを食べていればアレルギーなんてないんじゃないかと思っていたら、最近は中国製のお菓子が入って来ていてそれが原因でアトピーの子どももいるんだそうだ。社長さんの家で出された食べ物は加工食品ばかりだった。ぼくはどちらでも食べられるからいい。でもアリヤさんたちは美味しくなさそうだった。そりゃあそうだろう。普段一番いいものを食べているんだからこんなもの美味しく感じるわけがないと思う。確かにどちらもモンゴルの現実だが、この差の激しさはどうだ。


衛星放送で日本の番組

社長さんの家には大きなカラーテレビがあった。日本のNHKの衛星放送も映っていた。不在時に大きな事件がなかったことに安心した。モンゴルの放送で日本のドラマの吹き替えもやっていた。番組は『ひとつ屋根の下で』。『小雪』は『コユキ』でそのままだったが、『あんちゃん』は『アン』って言われていた。『アン』って名前じゃないぞ。なあ、あんちゃん。


ガンダン寺観光

帰国は翌日の昼の便なので約1日の時間がある。どこかに観光に行きたいかって聞かれたから『ガンダン寺』をリクエストした。モンゴルはチベット仏教を信仰している。なぜ、遠く離れたモンゴルでチベット仏教かというと、あのチンギスハーンが中国大陸を支配していたときにチベット仏教に帰依したのが始まりらしい。これはやはり興味がある。果たせなかったチベット行きの夢をここで果たそう。初め、夕方行ったのだけどもう閉まっていた。朝早く来なければならないというので翌朝空港に行く前に寄ってもらった。すでにお参りの人が多く来ていた。それに混じって並んでいたんだけど、周りにいる欧米人がどうも気になる。彼らはお参りに並ぶでもなくただ眺めているだけだ。エキゾティックっていう目で見てるんだろうなあ。自分としては日本人として仏教的な素養があると思っているので、地元の人が純粋な信心で来ているのをそういう目で見られるのはなんかいやだった。変かな?


モンゴル土産はデパートと食品スーパーで

日本に帰るお土産を買わなきゃいかん。自分のお土産も欲しいし。そこでデパートと食品スーパーに連れて行ってもらった。デパートは品揃えも多かったけれどやっぱり高いね。ここでは馬の絵の入った茶碗を自分用に買った。もうひとつの食品スーパーはロシアや中国、韓国からの食品がたくさん並んでいた。モンゴルに来たからには酪農製品を買いたいところだが、昔検疫にひっかかって没収された苦い思い出があるのでここでは何も買わずに帰ることにした。


風呂に入りたい

あと何かしたいことはないかと言われたので風呂に入りたいとリクエスト。ゲルにいるころには風呂がなかったので川で体を洗うしかなかった。川でせっけんを使ってはいけないというので水で洗うだけ。お湯なんて望むべくも無い。特に髪の毛が洗えないのが堪えた。髪を伸ばしていったので邪魔になってしょうがなかった。だからとにかく早くお湯の風呂に入りたかった。風呂に案内されてシャワーを浴びたら気持ちよかったこと。なんか体が一皮むけたような感じでさっぱりとした。


さらばモンゴル

最終日空港に連れて行ってもらった。やはり空港は街から40分くらい離れたところにあった。最後の空港にいるといつも思うのだが、つい昨日まで大草原にいたのに今こういうハイテクな施設にいるとどうも現実感がない。今が夢なのか、前が夢だったのか判断がつかなくなる。だが、さすがに飛行機に載ると帰国するという現実感が沸いてくる。さらばモンゴル。


疲れた!体力の限界だ

4時間で関空に到着した。正直体はボロボロだった。結局ゲルにいるころはよく眠れなかった。それに慣れない乗馬や、子ども達と同じペースで動いていたから体はくたくたになっていた。関空にマッサージ店があったので入ったのだが、体中が臭いのが気になって仕方ない。でも背に腹はかえられない。マッサージをお願いした。そうしたら、かえって体の具合が悪くなった。体の奥にあった疲れがどっと表面に出てきた感じがする。家にたどり着いてすぐ風呂にはいったけれど疲れはとれない。それから数日間寝込んでしまった。


草原に佇んで国家について考えた

モンゴルと言えば、チンギスハーンのモンゴル帝国が思い浮かぶ。でも実際に草原の中で暮らしていると国家の存在を感じない。ハーンはこの草原にいて、どうしてユーラシア大陸を網羅するほどの勢力を欲したのか。もちろん近代以降の国家と当時の国家とでは意味合いが違うだろう。しかし、ぼくは草原にいると存在の自由さを感じる。束縛を感じないのだ。だから他者を束縛しようとする気にどうしてなるのか理解できない。広大な範囲の人々を支配するよりも、自分の自由さの方に価値を見つけなかったのか。わからない、どうしてモンゴル人があのような大帝国を作ったのかどうしてもわからない。
ところで、牧民の人たちって税金払っているのだろうか?そして国家はこの人たちに何をしてくれているんだろう?そもそもこの人たちには戸籍や住民登録ってあるんだろうか?だって、夏と冬が住むところが違うし、ゲルの組み立てなんて簡単にできるらしいから移動しようと思えばどこにでも行ける。この人たちに国家の意識ってあるんだろうか?そう言えば、モンゴルってモンゴルっていう国と中国の内モンゴル自治区っていう2つに分断されている。これって何故?そもそも中国とソ連という超大国に挟まれて存在できている理由ってなんだろう?勢力の緩衝目的かな。そういうことを草原に佇んで考えた。


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