目次


初めての海外旅行


今から14年前、1985年当時中国旅行が大ブームだった。中国が地方都市を外国人観光客に開放し始めたためだ。日本中の学生が中国へ貧乏旅行へどっと出かけていた。そして、夏休みに友達が旅行したのに触発されて春休みに中国旅行にいくことにした。                

その当時学生の貧乏旅行は、いかに安い航空券を手に入れるか、いかに安いホテルに泊まるか、いかに僻地に行くか、ということがステータスだった。そこでぼくも生まれて初めての海外旅行だというのに、福岡香港の片道航空券のみ、当日のホテルの予約なし、一切の予定なしと言う状態で出発した。今から思うと無謀だと思うが、それがなんとか無事にやってこれたのも奇跡的な出会い、人の輪のおかげでなのである。                       


翁くんとの出会い


行きの機内で宮崎県小林市出身の中国国籍の華僑、翁華晃(日本名:おう あきら)くんと知り合いになった。彼は当時中国広州の大学に留学中で春休みが終わって広州に帰るところだった。ぼくがその日のホテルの予約をしていないというと自分がいつも利用しているところにつれていってくれた。翌日からも香港をいろいろと案内してくれた。初心者には恐ろしい路地裏や夜の街、レストランや食堂ではいろいろと安くておいしい料理を選んでくれた。たいへん助かった。このありがたさに本当に気づくのは、1人旅を始めてからのことであった。                 


中国へ国境を歩いて越える


香港から中国へ移動した。風景はまるでカラーテレビからモノクロテレビに変わったようだった。カルチャーショックというべきか。                           


深セン、広州夢の4食


国境の町深センに到着して翁くんの知人と昼食を食べることになった。しかもおごりで。テーブルはおいしい料理がたくさん並び、そのころは若く貧しく遠慮を知らなかったのでバクバク食べまくった。あとで聞いたら他の皆で料理を注文しすぎたかなあと言う話をしていたのに全部なくなってしまったと大笑いをしていたんだそうな。『恥ずかしいね』と言ったら中国人は自分が設けた宴席で人がたくさん食べてくれるのがうれしいものだと言ってくれた。それにしてもうまかった、こんなうまい料理はたべたことがない、普段はパンの耳にマヨネーズ塗って食ってる。一日の食費は10円未満だと言ったら、こんなに貧しい日本人は始めて見たと大笑いされた。だってその当時一元が約100円換算で、感覚的には10分の1くらいに思っていたほうがいいって言われていたのに全然普段と変わらないなあと思ってたもの。                  

その日の宿を探そうかとホテルに行くと、外国人が何人かウロウロしていた。何事かと日本人に聞いてみるとどこに言っても空き部屋がないと言われて途方にくれているんだということだった。そこで翁くんが知ってる中国人用の旅館に掛け合ってくれることになってそこにいる皆を誘った。しかし、外人さんのなかにはよほど中国人に懲りたのか『I do’nt belebe Chinese』と言うのを、『He is special』と説得して連れていった。真っ暗な道を郊外へしばらく行ってやっと旅館に着いて一安心、みんなで夕食をとることになった。ここでも翁くんがメニューを選んでくれた。みんな宿にありつけただけで満足していたようで、たくさんの料理は夢のようで、値段はいくらかかってもしかたないなという雰囲気だった。ところが、支払いは1人あたりたったの700円程度で皆びっくり。あらためて翁くんに感謝!
その次の日もおいしい広東料理をたくさん食べまくった。当時広州で最高級のホテルのレストランで本物の飲茶を食べた。よく日本に飲茶セットっていうのがあるけれど、あれは点心セットっていうのが正しいんじゃないかとぼくは思う。お茶も選べないし。広州でのこれらの食事が夢のようだったと思い知るのはこの後北京に行ってからのことである。                               


北京へ

北京まで列車で行くことにした。二泊三日の旅である。広州の駅に翁くんと切符を買いに行った。行列に並んでいるとなんと前に並んでいたのが翁くんの前の同級生で今北京の学校にいるタイ系の華僑、通称ラックという人がいたのだ。そこで翁くんは北京の先輩のところまでぼくを連れていってくれと頼んでくれた。そしてお世話になった翁くんと別れて北京へと旅立った。


北京にて

さて、北京に着いた。ラックはぼくをつれて北京郊外の学校の寮へ行った。そこで、翁くんの先輩の日経華僑の通称ドラえもんさんを紹介してくれた。ドラえもんさんは、翁くんの手紙を読んでホテルの手配をしてくれた。      
その日から北京には約一週間滞在した。なにしろ北京の街は広い。朝、今日は西とか北とか方向を決めて夕方帰ってくるという毎日だった。そのなかで北京の名所についてのレポート。


とにかく広い、天安門広場

有名な天安門広場、このときはまだあの天安門事件のずっと前だった。あの事件報道を見たときはショックでしたね
 天安門広場は100万人収容できると言われているが、これもうそじゃないだろうと思わせるほど。         
つづく故宮(あのラストエンペラーで有名な)もこれまた広い。ここだけでまる一日費やす。               


長城観


天安門広場前の前門から長城行きのバスツアーがたくさん出ていた。どれでもいっしょだろうとそのなかのひとつに申し込みをした。翌朝ここに集合とのこと。         
で、翌朝、初めて気がついた。ツアーには外国人用と中国人用があって、外国人用は立派なバスだけど中国人用は隙間風ピューピュー。ぼくは知らずに中国人ツアーに申し込んでいたのだ。バスに乗ってみると外国人はぼくひとり、ガイドも中国人。言葉は全く通じない。とにかくバスは出発した。長城行きツアーは長城だけでなく、他にも明の十三陵などの観光地をめぐるのだった。その観光地に着くたびにバスは止まってそこの観光をするのだが、ガイドが中国語で集合時間を言うだけでそれぞれが勝手に見て廻るのだった。それでぼくもひとりでぷらぷらと歩いていたら、ガイドが大慌てで走ってきた。集合時間をとっくに過ぎていたのだ。中国語で言ってたから全然わからんかった。バスに戻ったら乗客が大笑い。そして近くの席のグループがこれから自分たちについて来なさいと言ってそれから長城までいっしょに行動してくれた。                  さて、いよいよ長城に着きました。まあ、これが想像を絶する規模、大きさ、さすが月からでも見える建造物と言われるだけのことはある。はるかかなたまで続いて先のほうはもう目に見えない。たいしたもんです、人間は。    


北京の食べ


北京で有名な食べ物といえばもちろん北京ダックですよね。さっそく食べに行きました。ガイドブックにも載っている元祖という店。おいしかったですねえ、あれいらい一度も食べたことがないからもう一度たべてみたい。でもすっごく高いでしょ、食べに行くと。ここの店では10元(約1000円くらい)だから今から考えると安かったんだよね。       

それから、記憶に残ったのが王府井(ワンプーチン)通りにあった食料品店の店頭で売っていた酸牛乳(スワンニュウナイ)つまりヨーグルト、北京でヨーグルトって意外だけどこれが濃厚ですごくうまかった。あれだけのヨーグルトはあれ以来食べてないなあ。                  

それ以外の北京での食生活は貧しいもので、まずメニューが読めないから注文するのはチャーハンと湯麺ばかり、風邪をひいてしまったときに日本食がたべたくなって北京飯店の日本食レストランでトンカツ定食を食べたけど高くてまずかった。ああ、翁くんあなたは偉大だった。       


上海へ

中国旅行最後の地、上海へやって来ました。さすが上海は他の土地とは雰囲気がちがう。ここでは有名な上海雑技団をみたり、お土産を買ったりして過ごした。そうしていよいよ帰国する日になった。                



帰路は上海から長崎まで空路で帰ってきた。大村空港の動物検疫で上海でおみやげに買った腸詰がひっかかってしまった。認められた工場で作られたもの以外は日本に持ちこめないんだそうな。そんなん知らんもん。で、没収されることになり,思わず、『まだ、食べてないんですよ』
こうして約3週間にわたった中国旅行が終わった。   


帰国後三日


中国から帰国して三日後に韓国ソウルへ旅立った。これは中国旅行の前に決めていたもので、熊本空港にソウル線ができて、県が後押しをする安いツアーがあったので申し込んだのだった。フリーツアーとはいえツアーに参加したのはあとにも先にもこのときだけ。              

このころ、ソウルはオリンピックの前で、街中いたるところで工事をやっていた。今回は二泊三日の旅なので楽しみはなんといっても食べ物に尽きる。行きの飛行機で知り合ったおばさんにビビンバとプルコギというのを教えてもらったのでさっそく行くことにした。今でこそビビンバとかプルコギなんてだれでも知っているけどそのころはあのエスニックブームの前でまだまだ知っている人は少なかったはず。ぼくも全然知らなかった.プルコギは甘いタレが美味かったですねえ。あの独特の鉄板でジュウジュウ焼いて、店のお姉さんが焼けた肉をハサミで切ってくれて、あっそう言えば、韓国でご飯をたべるときには注文しなくてもキムチが皿いっぱいでてくるよね。それで店の人がハザミで切ってくれるんだよね。あれは、いつも新しいキムチを出してますよっていうアピールなんだそうな。               

で、次の日、ビビンバを食べに行きました。なにしろ初めて食べるもんでビビンバがなんなのかも知らなかった。それで出てきたのが金属のおわんにご飯、皿に具が乗ってきて、小皿にタレがついてきたので日本的に具にタレをつけておわんのご飯を食べていたら店のおばさんがとんできた。『ちがう!こうやって食べるんだ!』と教えてくれた。で、そのとおりまぜて、まぜて食べたらうまかったですねえ。
ついでに言うと、韓国ではおわんを日本的に手に持って食べるのはマナーが悪いこととされている。そんなことも知らなかった。でもほんとはこういうのちゃんと知っとくべきなんだよね。郷に入っては郷に従えというけどその国の文化や伝統を尊重するのは大切なことです。そう思います。

韓国は近いからまた気軽に行ってみたいですね。船でも行けるしね。              

おしまい


HOME 海外旅行 香港の旅 中国三大都市の旅 韓国の旅 雑記帳